
『吉田御殿』と呼ばれた豪壮数奇屋敷風の総檜造りの建物は戦後、建築家吉田五十八氏(1894〜1974)の設計のもと、京都より呼ばれた宮大工により建築されました。
吉田茂元首相自らこの邸宅を『海千山千の家』と公言し、多くの政財界人や諸外国からの来賓が訪れ、カーター米国大統領との首脳会談の場にもなりました。
残念ながら2009年春、全焼してしまいました。
心字池
草書体の『心』の字が模られています。
元農大教授の中島健氏により設計されました。

内門
日米講和条約を記念に建てられ『講和条約門』や門の形から『かぶと門』とも呼ばれています。
この門だけで当時の家の一軒分の費用が掛かったと言われています。

七賢堂
伊藤博文の別荘にあった明治維新の元勲、岩倉具視・三条実美・木戸孝充・大久保利通・伊藤博文を祀った五賢堂を吉田茂が移築し、吉田茂が西園寺公望を加え六賢堂としました。
吉田茂の死後、佐藤栄作が吉田茂を加え、七賢堂となりました。